昨日、今日、明日
生きることのしあわせ
第2回平和学習では、広島県江田島市にある、旧海軍兵学校跡地を見学しました。当時は4年制の兵学校でしたが、現在は海上自衛隊第一術科学校として、1年間(医務の場合は6年間)の教育訓練が行われています。
明治21年、東京築地から移設するため、様々な条件を備えた候補地の中から江田島が選ばれたそうです。
当初は建物がなく船上で学んでいたそうですが、その後5年の歳月をかけて立派なレンガ造りの校舎・寄宿舎が建造されました。
世界三大兵学校と称された兵(士官)学校の一つです。
写真をクリックすると、拡大してご覧になれます。
第2回 平和学習 in 江田島
旧海軍兵学校見学(2018.5.20)
明治の香りが残る江田島を訪ね、見学終了後に担当官へお礼を言って帰るさいのこと、参加者が兄の遺書・遺品が教育参考館で見つけられなかったことをお伝えしたところ、「本当に、神風特攻隊ですか? 違う可能性はないですか? 神風特攻隊のご親族なら、見学前にお知らせいただければ、ご本人の資料と顔写真をお渡しすることができたのですが・・。」とのお話しから、海上自衛官の方もお話しに加わられ、貴重な手掛かりをいただいて帰りました。
(右の書面について)
その後、申請から2週間ほどで届いた書類の表紙です。厚生労働省社会・援護局には、旧海軍と旧陸軍から引き継いだ資料が保管されていました。
戦中・戦後の75年間に渡り、兄の最期を知らずに平和への願いだけを大切にしてこられた参加者にとって、はじめて目にされる貴重な記録でした。
この記録には、軍艦香取で受けた頸部貫通の重傷により赤十字船「氷川丸」に救助され、手当てを受けながら横須賀病院へ搬送された経緯や、海軍の零式艦上戦闘機隊員(搭乗員)養成の飛行訓練が驚くべき1月20日間の促成教育であったこと、そして間もなくラバウル海軍航空隊204空に配属されたことなどが綴られていました。
基地移動を繰り返しながらラバウルへ到着し、着任2週間あまりでセントジョージ岬から押し寄せる米軍機との空中戦で被弾し、疲弊しきった体を精神力で支えつつも最期は自爆されたことが、当時の記録簿に克明に残っていました。
20歳の青年の思いは、限りなく美しい国と家族の住む日本本土に向けられていたことは疑う余地がなく、感謝の一言を大空に向けて贈りたいと思います。
江田島にある、防衛大学を卒業された方が学ばれる、幹部候補生学校の裏門(受付のある出入口)です。
広島県呉市中央港を出発し、船で江田島の小用港へ。港から峠を越えたところに海上自衛隊第1術科学校があります。江田島クラブ集合後、1時間30分の見学を行っています。
南側の入口から入れるのは、皇族のみに限られていたため、その他の人々は、北側の平民門から入りました。
重要な儀式に使用する大講堂。声が大きく反響する構造のため、天井には和紙が貼られています。
天井には音響を和らげるための和紙が貼られています。
築地から移転し、明治26年の建造にもかかわらず、壮健なレンガ造りの校舎(東側)と元寄宿舎(西側)です。校舎ができるまでの数年間、生徒は海上に浮かぶ船上で学び、生活していたそうです。
船の出入口には扉が無いことから、当初はあった両側の扉は取り払われた造りとなっています。
上空の飛行機雲は、岩国基地から離発着する在日米軍の軌跡。岩国基地からは約30キロの距離にあります。
NHK放送の「坂の上の雲」に登場した、幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)の出入口